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保健婦駐在の実態から駐在制度の確立に影響した要因を探る |
県立沖縄看護大学:大嶺千枝子、仲里幸子、川崎道子、
神里千鶴子、牧内忍、与那嶺尚子 |
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保健婦の駐在制度は、我が国の保健婦行政史の中で極めて特異で本県特有である。46年間に亘り制度が発展し維持できた要因は、保健婦人事等にあるとされたが、その要因に関する研究は殆ど行われていない。そこで、本研究では駐在の実態・組織、駐在の実態、看護管理者の機能、46年間・1513名の保健婦及び指導者41名に対する異動経歴の追跡調査、人事配置に至る実際から配置の基本事項を再構築し、制度確立と継続に影響した諸要因を探ることを目的とした。
結果は、制度施行期間は46年であるが各駐在は開設年により異なる。駐在数は77をピークとし配置実数140名、異動延べ保健婦は1513名、平均在勤3.4年で殆ど全員が遠隔地の勤務を経験している、。離島駐在は20、276名で復帰後に完了している。定義による保健婦は236名、全体の約16%、平均在勤は1.9年である。組織は看護課設置を特徴とし、課長が強い指導権限を有した。保健婦係長が人事権を持ち保健婦の意向を尊重し、課長と連携して公平性、負担の均衡性及び配置の循環性等を厳守している。指導者は保健所、教育、行政職を循環し諸問題を共有して指導の統一性を保ち、集団指導体制を確立している。
このように駐在制度の確立要因は係長の人事権及び連携と調整、個の意向尊重を基本とす人事の考え方、組織と権限と責務、集団指導体制等の諸要因が相乗効果を持ったと推測された。 |
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1.キーワード:駐在制度と係長、人事ローテート、人事配置の原則、 離島駐在、看護課と看護課長 |
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1.緒言
戦後沖縄の保健医療行政は米軍政府から米国民政府の統治を経て日本復帰を迎え、 本土法が適用されるなど特有な変遷を辿っている。 保健婦の身分を県に統一した駐在制度による活動体制は、
我が国の保健婦活動において唯一であり、 本県独特なものである。 1951年に開始した保健所保健婦の地域駐在制度 (以下、 駐在制度と省略) の目的や制度廃止に至る経過及び行政的な処置等は大学紀要第二号に報告した通りである。
駐在制度は戦後、 本県のおかれた歴史的、 社会的、 地理的特性から必然性を有したと考える。 沖縄の本土復帰にあたり、 本制度は本県の公衆衛生の向上に多大な役割を果たしたと評価され、
諸般の事情から復帰特別措置により継続が認められた。 1)2) 離島の駐在設置は1960年代に推進され、 本土復帰後、 急速な施設整備が進み保健婦活動の充実強化が図られてきた。
一方、 国民の健康づくり対策や老人保健法の制定等で市町村長の責務の増大に伴う、 市町村保健婦の確保が進む中で1994年、 地域保健法が制定されて駐在制度の廃止計画が具体化し、
地域保健法の全面施行を受けて1997年3月に廃止された。 駐在制度の施行期間は46年に及んでいる。
島嶼県として広大な海域に多くの離島を有する地理的条件を乗り越え、 本制度の継続維持を可能とした要因の一つは、 保健婦の人事管理、 即ち、 離島僻地を含む県内全域を対象とした全県的な保健婦のローテートであり、
指導者層の保健所、 保健婦教育及び行政を循環する人事体制にあると言われてきたが、 その実態に関する研究は殆ど行われていない。
このことから駐在制度の実態・組織体制、 離島駐在及びその他の保健婦、 指導者の46年間の異動状況の実態分析、 保健婦係長及び看護課長の役割、 業務引継で継承されてきた人事管理のあり方に関する基本事項を通して、
制度の確立と継続を可能にしてきた要因を探ることを目的とした。 併せて本県は国際協力事業団の発展途上国からの研修生を受け入れており、 本制度に対する関心も高く、
これらの国々の保健政策の参考に資することも狙いである。 |
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II.研究方法:
1. 調査対象及び期間
1951年~1996年の保健所勤務の全保健婦 (1502名・異動延べ総人員) 及び保健婦指導者層 (保健所看護課長、 県保健婦係長及び保健婦関係行政の担当者、
保健婦学校教諭) 実数41名を調査対象とした。
2. 調査方法
調査は基本的には年度別保健婦配置表 3) 及び福祉保健部健康増進課の保健婦個人票・履歴票及び看護課長会議録、 その他面接による情報等を資料とした。
1) 人事配置に関する調査方法:保健所別、 離島別、 駐在別、 所内勤務、 県保健婦行政及び保健婦学校に勤務した歴代保健婦一人びとりの異動履歴を追跡調査した。
留意点として:総数及び在勤期間の算出にあたり異動追跡調査で、 結婚等によって名称が変わった者を異なる人物として重複計上を避けるために同窓会名簿 4) から電話による当該者確認を行った。
職種を変更した者及び県内不在者は、 当時の同僚保健婦から情報を得ると共に、 退職保健婦のOG会に参加して情報等の正確性を期した。
2) 離島駐在者の定義:厳密な意味での離島駐在を明確にするために 「離島駐在者」 とは、 人事異動により通常生活の根拠地から離れた離島赴任者とし、 島内に生活根拠地を有する者、
本島勤務で離島を兼任した場合及び架橋や船舶による離島への通勤可能者を除くと定義した。 当研究で小規模離島駐在を特定したのは、 市部を有する地域駐在とは比較にならない島嶼としての厳しい条件下における単独駐在者の在任期間等の実態を明らかにすることを狙いとした。
3) 保健婦人事管理の考え方に関する調査方法:人事異動の作業については係長の交代時に原則的、 基本的な考え方が引き継がれ、 作業の実際は総務部人事課との協議と調整で進められた。
このことから当時の関係者から情報収集を行うと共に、 看護課長会議録や所管課発行の資料等も参考としたが、 主として筆者自身の8年の保健婦行政勤務経験を参考とした。
5)6) なお、 保健婦の名称は本土復帰までは公衆衛生看護婦と称し公衆衛生看護事業・活動と称したが、 復帰後は本土法・保健婦助産婦看護婦法を受けて保健婦と改称された。
従って本稿では時代に関係なく 「保健婦」 及び 「保健婦活動」 の用語を用いる。 また、 1972年以前の関係法は全て琉球政府立法院で制定したものである。 |
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III.結果:
1. 保健所組織について
1) 保健所の設置と役割:
本県の保健所は1951年に北部・中部・南部の3施設、 1952年に宮古及び八重山の2施設、 1963年に石川、 1972年に中央保健所の計7施設、
支所及び保健婦駐在所からなっている。 琉球政府の制定した保健所法 (1952年) は基本的には当時の本土法・保健所法に準拠し、 保健所は衛生行政の第一線機関として疾病予防、
母子保健、 健康教育、 食品衛生、 衛生検査及び環境衛生業務等を行い、 保健所の内部組織は庶務課、 衛生課、 保健予防課で構成した。 7) 3保健所開設時の社会的背景は戦後の混乱が収拾され、
琉球政府が創立して落ち着きを取り戻した時期にあるが、 市町村自治体の保健行政機能は極めて弱く、 琉球政府が対人保健業務を含む公衆衛生事業の全般にわたる責任を有している。
保健所開設時の重点事業は管轄地域の特性から北部は寄生虫、 中部は性病、 南部は結核とされたが、 実態は全地域に結核の蔓延が見られた。 公衆衛生状態は依然として劣悪で医療機関の整備も極めて貧弱な状況から、
保健所は結核管理の専門機関として予防活動、 患者発見から在宅治療を含み、 その他性病、 寄生虫、 トラコーマ及び歯科等の治療業務を行い、 環境衛生課及び保健所支所はそ族昆虫駆除業務を、
地域は駐在保健婦が予防接種や結核集団健診や母子保健事業を重点としている。 そのため職員数は全国より多い、 因みに1960年の5保健所の職員総数は522名、
その中で看護課職員は163名で全体の30%を占める。 8)
2) 保健所の内部組織・看護課設置と役割:
保健所の内部組織は先に述べた3課で開始したが、 地域の保健婦事業強化に向けて1960年に全国で唯一、 看護課が新設された。 看護課の設置は看護課長が保健婦活動に関し権限と責任を有し、
保健所の中で唯一、 公衆衛生看護の専門領域を確立している。 これは駐在保健婦活動を含めて看護活動の充実強化に繋がっている。 1985年の保健所組織は図1の通りであり、
看護課の業務分掌は次の通りである。 保健婦事業の管理に関すること。 母性、 乳幼児、 精神障害者、 成人病及び老人、
保健指導に関すること。 性病、 結核、 伝染病の予防及び指導に関すること。 心身障害児の療育育指導に関すること。 遺伝相談及び啓蒙普及に関すること。 小児慢性特定疾患及び特定疾患の療育指導に関すること。 その他の疾患及び傷病者の療養指導に関すること。 駐在保健婦に関すること。 市町村保健婦事業の指導及び連絡調整に関すること。 保健婦及び看護婦等の現任訓練に関すること。 看護学生の教育実習に関することと規程している。 9) 保健婦事業全般は基より職員の質の向上に務め、 看護学生等の教育を行うことも義務的業務と位置づけている。
3) 保健所婦長・看護課長の機能:
看護課設置当初の 「保健所婦長 (看護課長) の機能」 は次の10項目の通りである。 10) 関係機関等の会合では保健婦を代表する。 厚生局及び保健所の作成した看護事業計画に精通する。 駐在保健婦の問題は所長と保健婦係に報告する。 看護事業を指導監督・駐在所訪問による指導、 定例会議の開催、
報告書の検討を行う。 保健所及び関係機関の事業と看護事業を調整する。 人事。 保健婦事業の備品確保。 保健婦職員の教育・質の向上に責任を持つ。 公衆衛生看護学校の教育に協力する。 保健婦係りの教育及び保健婦事業に必要な予算確保に協力する、 となっている。 「 .
人事」 の詳細は次の通りである。 保健婦採用の基準や資格の検討に協力する。 志願者の面接と適任者を所長に推薦し厚生局公衆衛生看護婦係
(以下、 係り) に提出する。 昇級、 転勤、
退職を検討し係りに勧告する。 保健婦業務、 責任、
権限の範囲、 人事方針等については係りに協力し保健婦に説明する。 保健婦の正しい採用、 適切な配置を促進する。 職務記録・休暇表、
健康診断、 履歴、 任用表等の記録作成と保管等が謳われている。 このように保健婦人事に関しては県保健婦行政への協力と管内人事に関する権限と責任を明記している。
このように看護課長は保健所事業運営に関して保健婦を代表し、 保健所内外における看護及び駐在活動の指導と総括を行った。 また、 駐在保健婦事業計画を通して保健所管内の全市町村の集団事業計画及び実施に関する総括的な役割を担った。
更に、 人事権を合わせもち保健婦行政の人事に協力する責務を有している。 |
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2. 保健婦駐在所及び保健婦の推移
保健婦駐在所の分布 (1985年)、 1951年以降の保健所看護課の定数 (駐在及び所内の保健婦、 看護婦) 及び駐在所の推移は図1, 図3、 表1に示すとおりである。
1) 看護課の定数の推移:
保健所開設期の保健婦39名の配置は各保健所内に1人であり、 他の36名は駐在勤務者として地域の公衆衛生看護の実践活動に重点を置いている。 看護課の定数は琉球政府の保健政策と深く関係して推移しており、 表1・図1に示すように10年間で当初の約3.6倍、
1972年には約4.6倍・182人と定数のピークを迎えている。 その後、 1985年頃までは定数の固定化が続き、 逐次、 減少し1996年の制度廃止時は151人である。
推移の特徴は、 結核予防対策暫定要項 (1954年) 及び結核予防法制定 (1956年) による結核在宅治療制度が影響し、 駐在及び駐在保健婦は39人から5年後は88人へと2倍強である。
次いで、 離島の医療対策強化 (1960年) により19人が増員され、 総数132名、 駐在114人となり駐在体制がほぼ整備された。 11) 加えて性病予防法制定
(1962年) 等で所内保健婦及び看護婦の増員が図られ、 1972年には5保健所の所内看護職者は60名体制 (保健婦44、 看護婦14) で看護課定数は182人とピークを迎えた。
保健所の看護婦の配置は各1~2人弱であったが1960年頃より結核、 性病及び一般健診など業務量増と共に増員されて1970年に総数15人となり、 1980年代は数名に減少している。
助産婦としての配置は行われていない。 なお、 保健婦及び看護婦は全員が県立看護学校と琉球大学の卒業生である。
看護課定数及び保健医療従事者を復帰時点の全国比較で見ると、 全国を100とした充足状況は、 医師46%、 歯科医師39%、 看護婦及び准看護婦50%、
助産婦80%、 保健婦147%で唯一、 保健婦が全国を上回っている。 12) これは本県の保健医療整備の遅れを補完すると評価された点である。 しかし、
復帰後、 県は駐在制度の意義を認めながらも行政改革大綱により、 職員定数適正化計画に基づき保健婦が削減の対象とされた。 1980年代に入ると急速な高齢化社会はヘルスニーズの質の変化、
量の増大をもたらし、 国はその対応策として国民の健康づくり対策や老人保健法を制定したことから市町村長の責務が増大した。 一方、 県保健婦行政は駐在制度で行う保健婦活動が好ましいとする考えを引きづり、
市町村においては駐在制度が一つの隘路となり保健婦確保が進まない中で県保健婦の削減が始まった。 13) このために看護課定数の枠内で保健婦確保が検討され退職看護婦の補充が困難となった。
急速な状況の変化の中で1989年、 地域保健将来構想検討会報告書に基づき沖縄県においても検討会が発足、 翌年、 地域保健活動の充実強化に関する通知により保健所の新規及び強化事業が提示された。
本県は1990年、 新しい保健所事業改革に要する定数確保に向け、 市駐在者の一部引き上げを市町村に提示し、 引き上げが始まり所内保健婦の増となっている。
地域保健法の制定 (1994年) を機に行政判断として駐在制度廃止方針が発表され、 法の全面施行 (1996年) を受けて1997年3月に廃止した。 廃止時点の看護課定数は保健婦のみの151人である。
2) 駐在所の推移
開設時の33カ所から5年間で倍の65を数え、 10年後の1961年には77とピークに達した。 復帰後は20年間にわたり69~70カ所と変動は見られないが、
地域保健法の制定を受けて、 1995年、 行政判断として駐在廃止が発表され翌年3月に廃止した。 廃止時の駐在数は58カ所、 駐在保健婦58人である。 駐在所開設は当時の状況により増減し開設期間もそれぞれ異なる。
駐在保健婦は駐在所新設と共に増員され、 実数は140人であるが、 1960年から1990年の30年間は110余人~120余人を推移している。 1980年代の数年は国の諸健康施策に合わせて125人を前後し、
その後は市町村保健婦増と関連して年々減少している。 復帰後に駐在活動が次第に難しくなったのは、 対人保健業務の多くが法的に市町村長の責務として県から移管したため活動予算の削減等が生じ、
活動に支障が生じたためである。 従って、 保健婦行政においては市町村保健婦確保の指導を積極的に推進する一方、 新しい時代の保健所事業の改革に向けた検討と共に駐在制度の見直しが本格化している。
駐在保健婦は1980年代後半から減少し、 1991年から市部地域駐在の複数配置の中から計画的に引き上げた。 1996年の駐在制度廃止時の駐在所は58カ所、
保健婦は58人である。 |
図1
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図3.
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表1.看護職員の推移
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保健婦 |
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| 年度 |
所内 |
地域 |
看護婦 |
計 |
| 1951 |
3 |
36 |
0 |
39 |
| 1955 |
5 |
83 |
5 |
93 |
| 1960 |
18 |
114 |
10 |
142 |
| 1965 |
31 |
117 |
11 |
159 |
| 1970 |
48 |
118 |
15 |
181 |
| 1975 |
49 |
123 |
10 |
182 |
| 1980 |
51 |
125 |
6 |
182 |
| 1985 |
51 |
124 |
5 |
180 |
| 1990 |
51 |
114 |
5 |
170 |
| 1991 |
64 |
107 |
3 |
174 |
| 1992 |
66 |
100 |
0 |
166 |
| 1993 |
67 |
95 |
0 |
162 |
| 1994 |
76 |
87 |
0 |
163 |
| 1995 |
80 |
79 |
0 |
159 |
| 1996 |
93 |
58 |
0 |
151 |
|
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3. 保健婦人事に関する考え方
駐在制度の目的は全保健婦で県内全域を分割して担当し、 地域の住民生活に密着した活動を地域の隅々に行き渡らせることである。 その目的達成に向けた人事の大原則は全員で県内全域をローテートする方式とされた。
保健婦は専門職種としての選考採用であり、 その条件は離島僻地の勤務が義務づけられた。 保健婦の所属は、 例えば、 環境保健部予防課の所轄する中央保健所(看護課所属)の真和志駐在員である。
依って通常の異動範囲は活動と関係する、 即ち、 保健所内、 地域及び保健婦関係行政、 保健婦教育に限定されている。
人事異動は基本的には県人事課の責任で行うが、 駐在開設当初は管内移動は保健所長発令で行われている。 14) 保健婦係長の最も重要な任務は人事管理であり、
人事方針等は常に看護課長会議で協議し、 異動基準は概ね離島は2年、 本島は3年から5年としている。 5) 15) 人事配置に関して原則的に行われていた実際をまとめると表2. 3に示す通りである。
表2.保健婦人事異動に関するの原則
| 公平性 |
全員で県内全域を平等に担当する。異動に際し就職以来の配置場所の一覧 表を作成し、配置場所決定の参考として公平性を期す。 |
| 定期性 |
離島は2年、その他の地域は3年~5年毎に定期的な異動とする。 |
| 透明性 |
人事方針等は看護課長会議で協議し管理者と調整して問題点を確認する。 |
| 均衡性 |
離島僻地、その他の地域、保健所内及び保健所間の勤務のバランスに配慮し、偏りを是正する。 |
| 個別性 |
遠隔地配置は家庭環境の調整期間を与える等、個の意向を尊重する。 |
| 循環性 |
異動の流れは離島僻地勤務からその他の地域へ、一般地域勤務の後に保健 所内勤務へ。保健所間の異動へと循環する。 |
| 全体性 |
保健所や地域で推進している事業との関係、管内異動数、経験年数、及び 保健所間のバランス等を配慮し全体的なばらつきの是正を行う。 |
人事異動の調整過程は、 総務部人事課から環境保健部総務課人事担当者を経て予防課 (保健婦係り) へ、 係長は部の人事担当者と緊密な連携を取りながら保健所側及該当者と調整を行う等、
行きつ戻りつの過程を経ている。 配置に関して最も困難なことは、 世帯を有する者・特に小さい子供や老人を抱えた者の遠隔地赴任であった。 保健婦個人の意向を尊重しながら、
家族生活の支障を最小に抑えて義務を果たして貰うため、 家庭の問題解決のための調整時間・期間を時には2年~3年を要した。 従って、 係長には個人の秘密保持の厳守は基より、
ねばり強い調整能力や協議及び不満の生じない説得力を必要としている。
配置作業は離島勤務者の配置、 離島離任者の配置先の調整に始まり、 次いで全体的な配置計画案の検討が進められた。 係長が特に留意したことは権威ある外部者等による人事介入に対し、
制度を説明すると共に徹底的な拒否的態度を堅持することで公平性を厳守している。 配置計画案作成過程の実際は表3のような段階である。 |
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4. 離島駐在保健婦の配置状況
全国有数な島嶼県としての本県の特徴は、 南北約500キロメーター東西約1000キロメーターに及ぶ海域に60余の離島が点在している。 1975年の国勢調査による本県の法律指定の有人離島は、
28市町村に所属する40島で人口は約12万9千人・全人口の12.4%である。 2000年は26市町村の39島、 人口13万2千人・全人口の約10%となり本県の指定離島は40前後で推移している。
16)
これら島嶼に対する駐在設置状況は表4の通りである。 離島常駐は1950年代に65%・13人、 1960~1961年に4人が配置され、 1960年にかけてほぼ整備が進み、
復帰後に北大東、 池間、 波照間駐在が開設、 22年間をかけて整備を完了している。 従って各駐在期間はそれぞれ異る。 駐在設置までの住民の健康管理は本島勤務者及び離島勤務者が兼任する形態をとっている。
これら島嶼のうち宮古島と石垣島は市部を有し、 小規模離島及び西表島のような僻地性の高い島とは離島の概念や活動の困難度も異なることから、 離島駐在を定義して実態を分析した。
沖縄、 宮古及び石垣島を除く離島の駐在状況は、 表4の通りで17町村20カ所である。
駐在期間は開設年及び廃止年によって8年~43年である。 A欄は兼任者を除き出身者を含めた駐在状況で、 駐在保健婦総数は265名(実数260名)で平均勤務年数は約2.6年である。
本研究で定義する純然たる離島駐在の該当者はB欄に示す236名で保健婦総数の15.7%、 在勤年は最低1.3年、 最長2.7年となり平均在勤年は1.9年である。
離島赴任時の看護婦や保健婦の経験の有無は、 経験有りは143人 (60.6%) 経験なしは93人 (39.4%) である。 「看護職の経験有り」 は、
駐在制開設当初の赴任者は戦前及び保健婦講習開始や採用までのものである。 「保健婦の経験有り」 は卒業時点で採用が無く、 就職待機期間に保健所や市町村で非常勤としての経験である。
復帰後に見られる経験者は保健婦増員がなく、 新卒者の採用が減ったため年輩者の配置によるものである。 離島勤務の特徴は、 通常の保健婦業務はもとより結核の投薬、
SM注射等の治療行為に加えて、 事故や急病人及び出産等に伴う医療行為が日常的に求められた。 このことから医師の不在時はたびたび保健婦が唯一の医療人となる等、
厳しい状況から保健婦個人にかかる負担が大きく、 看護職の経験者配置は保健婦行政上の重要な課題とされた。
離島配置の考え方は、 前述のような離島勤務の厳しさから当初は出身者及び離島と何らかの関係のある者、 次いで、 住居地に近い離島が考慮され、 時には新卒者の提案でくじ引きを行った。
17) 何れにしても離島勤務者は任期を終えると本島等に戻れる人事の確約が保障され、 安心して赴任している。 当初の駐在場所は、 島内に自治体を有する場合は町村役場内に、
有しない場合は集落内の民家の一部屋を借用、 或いは保健所支所に併設している。 駐在所の規模は1970年までは43~60ヘーベーと小さく、 その後、 面積が拡大され2階に住居部門を併設している。
離島勤務は数多くの保健婦手記が語るように精神的な負担が大きく、 保健所の支援体制は不可欠であった。 保健婦の離島在任中は保健所で行われる定例の看護課会議に出席し、
看護課長の業務指導訪問を受け、 全県の研究発表会や研修会に参加し、 業務引継の立ち会い等で具体的な指導を受けている。 同一人の長期間在任に対しては、 業務のマンネリ化防止とリフレッシュ研修を狙いとして保健所等へ異動を行っている。 |
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表4.離島駐在別の駐在期間・保健婦数・在勤年数
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A・離島駐在状況 |
B・定義による駐在状況 |
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駐在名 |
駐在開始
年度 |
駐在期間 |
保健婦数 |
平均在勤
年数 |
駐在期間 |
保健婦数 |
平均在勤
年数 |
看護職
経験 |
| |
|
|
|
|
|
|
|
|
なし |
あり |
| 1 |
伊江 |
1951 |
41 |
21 |
2.0 |
39 |
20 |
2.0 |
6 |
14 |
| 2 |
伊是名 |
1954 |
43 |
9 |
4.8 |
14 |
7 |
2.0 |
2 |
5 |
| 3 |
伊平屋 |
1954 |
43 |
22 |
2.0 |
39 |
21 |
1.9 |
8 |
13 |
| 4 |
平安座 |
1951 |
8 |
4 |
2.0 |
4 |
2 |
2.0 |
2 |
0 |
| 5 |
仲里 |
1954 |
43 |
11 |
3.9 |
14 |
6 |
2.3 |
2 |
4 |
| 6 |
具志川 |
1954 |
43 |
13 |
3.3 |
11 |
7 |
1.6 |
5 |
2 |
| 7 |
渡嘉敷 |
1954 |
43 |
5 |
8.6 |
5 |
4 |
1.3 |
1 |
3 |
| 8 |
座間味 |
1960 |
37 |
17 |
2.2 |
37 |
17 |
2.2 |
5 |
12 |
| 9 |
粟国 |
1960 |
37 |
21 |
1.8 |
37 |
21 |
1.8 |
10 |
11 |
| 10 |
渡名喜 |
1960 |
37 |
16 |
2.3 |
37 |
16 |
2.3 |
5 |
11 |
| 11 |
南大東 |
1954 |
43 |
9 |
4.8 |
17 |
8 |
2.1 |
3 |
5 |
| 12 |
北大東 |
1973 |
24 |
9 |
2.7 |
24 |
9 |
2.7 |
0 |
9 |
| 13 |
伊良部 |
1952 |
19 |
15 |
1.3 |
19 |
15 |
1.3 |
8 |
7 |
| 14 |
佐良浜 |
1959 |
14 |
9 |
1.6 |
13 |
8 |
1.6 |
3 |
5 |
| 15 |
多良間 |
1961 |
36 |
23 |
1.6 |
36 |
23 |
1.6 |
11 |
12 |
| 16 |
池間 |
1972 |
18 |
7 |
2.6 |
18 |
7 |
2.6 |
3 |
4 |
| 17 |
大富 |
1954 |
43 |
24 |
1.8 |
42 |
23 |
1.8 |
12 |
11 |
| 18 |
祖納 |
1954 |
43 |
5 |
8.6 |
10 |
4 |
2.5 |
1 |
3 |
| 19 |
与那国 |
1954 |
43 |
8 |
5.4 |
16 |
7 |
2.3 |
2 |
5 |
| 20 |
波照間 |
1972 |
25 |
11 |
2.3 |
25 |
11 |
2.3 |
4 |
7 |
| |
|
|
683 |
259 |
2.6 |
457 |
236 |
1.9 |
93 |
143 |
注意
・本島、離島の兼任を除く
・同一人の連続配置は1人とする
・駐在開設年と期間は異なる
・Bは出身者を除く
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5. 一般地域の保健所別にみた駐在状況 (離島を除く)
保健所別の駐在数、 保健婦及び在勤年は表5に示す通りである。 一般地域は市町村自治体の人口規模等に応じて配置され、
市街地は一駐在に複数人を配置し地区分担制を採っている。 離島駐在を除く本島(沖縄本島、 宮古島、 石垣島) の駐在設置総数は58、 保健婦実数は120名、
異動延べ総回数は1237回・名で、 その平均在勤年は3.4年である。 駐在期間は開設年度によって異なる。
7保健所58駐在の平均在勤年を保健所別にみるとコザ、 中央、 南部は約4年、 石川は3.5年、 名護と宮古は約3年、 八重山は2.6年である。 特徴としては都市部に位置する保健所は在勤年が長く、
離島、 特に八重山保健所は2.6年と短い。 何れも保健婦の多くが本県の中心地・那覇市とその隣接地域に居住する関係上、 都市部の管内異動は間隔がやや長く5年~7年に対して八重山は3.6年である。
八重山保健所管内は定数に対する出身者の割合が少なく、 沖縄本島からの赴任者が多く異動が頻繁に行われている。 また、 本島北部においても駐在数と出身者の割合、
交通事情等から居住地を離れて駐在する者も見られる。
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表5.保健所別駐在数・保健婦数・在勤年数
| 保健所 |
保健 |
駐在数 |
駐在保健婦 |
駐在PHN総数 |
本島駐在勤務年 |
離島駐在勤務年 |
| |
所 |
本島 |
離島 |
本島 |
離島 |
本島 |
離島 |
平均 |
最長 |
最短 |
平均 |
最長 |
最短 |
| 名護 |
1 |
12 |
3 |
19 |
3 |
232 |
53 |
3.1 |
5.8 |
1.6 |
2.4 |
4.3 |
1.9 |
| 石川 |
2 |
7 |
1 |
15 |
1 |
176 |
4 |
3.5 |
5.8 |
2.6 |
2 |
2 |
2 |
| コザ |
3 |
8 |
0 |
20 |
0 |
182 |
- |
3.9 |
5 |
1 |
- |
- |
- |
| 中央 |
4 |
4 |
0 |
23 |
0 |
188 |
- |
4 |
5.4 |
3 |
- |
- |
- |
| 南部 |
5 |
15 |
8 |
22 |
8 |
218 |
104 |
3.9 |
4.7 |
2.8 |
3 |
8.6 |
1.8 |
| 宮古 |
6 |
5 |
4 |
7 |
4 |
115 |
66 |
3 |
7 |
2.4 |
1.7 |
2.6 |
1.3 |
| 八重山 |
7 |
7 |
4 |
14 |
4 |
126 |
49 |
2.6 |
3.6 |
1.3 |
.2 |
5.4 |
.8 |
| 計 |
7 |
58 |
20 |
120 |
20 |
1237 |
276 |
|
|
|
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6. 指導者層の異動について
指導者層とは、 看護課長 (保健所)、 保健婦学校教諭 (教育)、 県保健婦行政係長 (係長) を勤務した者とし、 その実数は41名である。 41名の3つの業務に関わった割合を表6に示した。
総数41名に対する看護課長31名が占める割合は約76%、 教員及び係長は約42%である。 平均在勤年は係長3.5年、 課長4.7年、 教員7年となり、
指導者層の人事異動においても比較的早いローテートで行政、 教育、 保健所を循環する異動が行われている。 また、 3っの職種それぞれの勤務経験は表7に示した。
保健婦係長17名中、 88%は看護課長を41%は教育を経験している。 看護課長31名中、 48%は係長を29%は教育を経験している。 保健婦教員17名中、
53%は看護課長を47%は係長を経験している。 現場と教育と行政の3領域の職務を経験した者は8名・全体の20%である。
保健所開設当初から復帰までの指導者の連携は、 保健婦行政の主催する定例看護課長会議を行政と教育と保健所の3者が一体となって開催されている。 5) 看護課長会議の詳細は各保健所の定例看護課会議で駐在保健婦の全員に報告され、
また、 現場の問題は看護課長会議へと提起されている。 この様に保健婦全般に関する指導管理のあり方は、 常に保健婦行政、 教育、 保健所・地域が一体となって有機的に連携して全体責任とする集団的指導体制がとられている。 |
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表6.指導者41名の職種(総数)に占める割合と平均在勤年
| 職種 |
定数 |
総数 |
割合% |
在勤年(本島--離島) |
| 看護課長 |
7 |
31名 |
75.6 |
4.7年 (3.9年---8.9年) |
| 保健婦教育 |
2 |
17名 |
41.5 |
7年 |
| 保健婦係長 |
1 |
17名 |
41.5 |
3.5年(指導鑑を含む) |
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表7.指導者層の業務経験
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実数 |
看護課長 |
保健教育 |
保健係長 |
| |
|
人 |
% |
人 |
% |
人 |
% |
| 看護課長 |
31 |
- |
|
9 |
29.0 |
15 |
48.4 |
| 保健教育 |
17 |
9 |
52.9 |
- |
|
8 |
47.1 |
| 保健係長 |
17 |
15 |
88.2 |
15 |
41.2 |
- |
|
| 保健行政 |
25 |
20 |
80.0 |
20 |
44.0 |
17 |
68.0 |
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考察:
1. 保健所組織・看護課と看護課長設置の意義
琉球政府の制定した保健所法は基本的に本土法を (保健所法) 準拠したとされるが、 組織及び機能については大きな相違が見られる。 保健所開設期の保健婦配置は保健所所内に保健婦1人、
その他は駐在勤務として地域の公衆衛生看護活動に重点を置いている。 これはGHQの指導で駐在制度を採用した高知県に類似している。 18) 特に看護課設置は全国唯一でその権限と任務及び果たした役割は大きいと言えよう。
看護課長は保健所内外の看護活動の総括責任はもとより、 管内地域の各種集団事業を保健所事業として管理運営の責任者として重要な役割を担っている。 離島を所管する看護課長は離島駐在保健婦の後方支援者としての役割も重要であった。
赴任時の村役場への紹介、 業務引継の立ち会い、 安全な住居の確保、 関係者や島内有力者への紹介、 会議の開催、 離島訪問指導、 研修計画、 悩み事の受容など公私にわたる細心の配慮が挙げられる。
復帰直後は、 本土法の適用により予防接種等の市町村移管時の混乱に対し、 自主自立的な実践に向けて駐在保健婦を通して適切な指導援助を行い、 対人保健業務の円滑な移行にも大きな役割を果たしている。
更に、 時代の進展に伴う駐在廃止に向けては、 保健婦行政に協力して積極的に特定町村支援活動を行っている。
このように看護課・課長が組織の中で地位を得、 看護活動に関する権限と責任を有し、 責務を果たしたことが、 本県の駐在制度を支えた要因のひとつと考える。
組織的な統率力が効果的に機能する体制は、 地域を担当する保健婦の活動の推進力となる基盤であり、 駐在制度がめざした住民に密着した保健婦活動の浸透を容易にしたと考える。
2. 人事に関わる保健婦係長及び看護課長の権限と責務
制度が機能するためには職員確保と適切な人事管理による継続が不可欠である。 しかし、 保健婦にとって地理的絶対条件は生活上、 業務上、 精神的にも厳しいものがあり、
全県下に隈無く保健婦を配置し続けることは極めて困難である。 従って保健婦人事に関しては保健婦係長に人事管理権が付与され、 看護課長が協力する組織的な体制機能が見られる。
これは駐在制度施行上から必要欠くべからざるものとして県人事課の一部権限が委譲された機能であると考える。 その責任を果たすために係長と看護課長は年次、 協力体制を確立し、
人事の原則厳守を貫くことで適切な配置を継続している。 人事は原則として負担の公平性、 情報の公明性、 透明性及び勤務地の均衡性を保ち、 配置のあり方は全体性、
循環性、 定期性及び個別性を尊重している。 この基本原則は係長の交代においても継承された、 これは指導者間の良好なコミュニケーションと信頼関係によるものと言えよう。
駐在制の全盛期は新卒者の殆どが採用と同時に離島配置となり、 ローテートに支障は見られない。 しかし、 高齢化社会のニーズの変化に伴う国の施策や関係法の制定で市町村長の責務が増大し、
国庫補助のあり方も変わって制度維持に向けた根拠が希薄 19) となり駐在の意義が陰りはじめ、 駐在保健婦の役割の限界が生じ始めた。 市町村保健婦の確保と共に県保健婦が削減された結果、
ローテートが行き詰まり、 離島未経験者及び2回目の離島配置を余儀なくされている。 このため2年~3年を見越した配置に向けて家族調整期間を与える等、 支障を最小にする努力を重ねている。
このように細やかな配慮を行うことでほぼ全員に対し、 各自の長い勤務期間の中で大きな不満を残すことなく、 遠隔地勤務を行わせ、 ローテート方式を成功させている。
3. 県全域の保健婦配置の達成と継続
1) 離島駐在の困難と支援方法
本島等から赴任した者の平均在勤は1.9年と比較的短いが、 島々のすみずみに保健婦活動が浸透したことは高く評価される。 復帰時 (1972年) の全国の未保健婦設置町村は610でその殆どが離島過疎地域であり、
20) 復帰10年後の1982年に至っても218の町村は保健婦が全くいない状況である。 21) 本県の復帰時点 (1972年) の医療状況は医療施設が全国平均の約45%、
医師46%、 無医地区は20市町村に40である。 22) それまでも多くの離島診療所は韓国や台湾等の外国人医師に頼り、 1980年現在においても29県立診療所のうち9つは医師確保が出来ずに休診中、
20施設は医師11名(外国人医師3名を含む)、 医介輔9名と言う状況であり、 医療環境整備の遅れは深刻であった。 23)
本県の離島常駐は1960年代にほぼ整備されたが、 比較的短期間のローテートが意味することは、 離島勤務の厳しさであり、 負担の緩和とも言えよう。 現在の離島勤務は復帰前とは比較にならないほど改善されたが、
駐在廃止から2000年までの7離島の退職保健婦11人の平均在勤は1.7年である。 特定町村保健婦・士の80%はやりがいを感じつつも、 66%の者は就職6カ月以内に役場の体制及び仕事の負担感等の理由で退職を考え、
条件に合えば定着する者は31%である。 24) このことから駐在平均1.9年は妥当と考える。 中堅者の離島配置は長年にわたる保健婦行政の課題であった。
経験者の配置61%は高い数値であるが、 僻地性の強い島に新卒配置が続き、 経験十数年以上のベテラン者は定数削減によるローテートの行き詰まった頃より見られる等、
経験者の計画的配置を理想としながら現実には困難であったと言えよう。 島の出身者や赴任地で結婚して島内在住となった者を含め、 1996年現在の駐在歴11年以上は7名、
定年を迎えたのは3名である。 島内在住者でもある時期には家庭の事情、 子供の教育等の理由で島を離れており、 離島保健婦確保の難しさが伺える。 駐在廃止の方針発表後も離島町村長からは保健婦確保が困難であるとして駐在継続要請が繰り返されている。
25) 26)
このようなことから離島を所轄する看護課長は、 その定着に向けて離島赴任者の生活環境を始め、 人的、 物的な業務環境整備はもとより、 新卒の若い保健婦が安心して日常業務が行えるよう管内の後方支援体制を整えている。
また、 頻繁な人事交代による継続事業や個別指導の中断が生じないよう、 引継に立ち会う等して補完的役割を担う等の重要な役割を果たしている。 離島配置をスムーズに行なうために事前学習として、
教育現場においては学生に対しては島嶼の特性、 駐在制度の意義、 駐在活動の実際等を看護課長や離島勤務者の体験談・講話等を通して島嶼県として期待されていることが教えられた。
更に、 学生は県主催の保健婦業務研究発表会及び研修会に参加して、 活動状況を見聞する機会を持ち使命感を高めている。 保健婦行政においては離島から戻れる確約を保障して離島へ送り出した。
毎月の定例会議は離島勤務者の悩みを打ち明け、 分かち合う場となるばかりでなく、 活動上の問題を提起しあって全員で協議することで改善策を見出している。 27)
このように離島に居ても孤立していない管内との一体感、 安堵感で更なる使命感を育み、 離島駐在の困難を乗り切る力を生み出している。 指導者や次元が異なっても共通認識のもとに組織だった指導の連続性、
統一性、 一貫性は、 保健婦にとって安心感と共に気持ちの結束、 志気高揚に大きく影響したと考える。
2) 一般地域の駐在配置状況
離島を除く全駐在の平均在勤年は3.4年である。 都市地域は約4年で地方や離島にいくに従って短く、 特に八重山は3年にも満たない状況である。 在勤期間が長いのは八重山を除き平均5年~6年であるが、
各保健所とも少数ながら比較的短期間の異動もみられ、 全島のローテートによる玉突き現象も一因と見られる。 一般的に保健婦が良い活動を展開する為には、 地域の人々とよい関係を築く必要からある年数を要し、
頻繁な異動は好ましくない。 しかし、 本制度による地域保健活動のあり方からすると必ずしも大きな支障が生じたとは言い難い。 それは管内市町村の集団事業の進め方は、
地域の年間計画に基づき保健所の全職種 (検査技師、 レントゲン技師、 栄養士、 医師や歯科医師、 歯科衛生士及び保健婦等) がチームを組み、 市町村職員や自治会等と共に実施された。
従って多くは駐在以前から管内相互の活動協力体制の中で、 各市町村との人的な繋がりが見られる。 更に、 駐在には保健婦便覧を整備して業務基準等を示して活動の均一化を図り、
業務引継は常に看護課長や補佐が立ち会い、 配置換えによる業務の影響を最小にするための努力が払われている。 この様にして保健婦活動の継続性と質の向上に配慮されている。
4. 指導者層の循環的な人事の意義
指導者層の人事は保健所と教育と行政のローテートの循環が特徴とされ、 比較的バランスよく経験している。 このことは幅広く情報を得て管理指導的な知識を深め、
各部署で保健婦の抱える問題に対して適切な指導を容易にしたと考える。 保健所開設当初から復帰までは保健婦行政の主催する定例看護課長会議は、 行政と教育と保健所の3者が常に一体となって開催している。
5) 全県的な看護課長会議の詳細は各保健所の定例看護課会議で報告し、 現場の問題は看護課長会議へ提起する等、 駐在制度の抱える課題は常に共有して共通認識のもとに解決策を検討している。
離島勤務の義務化は採用条件として新卒者の大きな不安であり、 その問題解決と支援方法は指導者層の共通課題の一つであった。
指導者層の人事に対する考え方は戦後の保健所創設の経緯と深く関係していると考える。 当時、 保健所業務を経験した者が誰一人としていない状況の中で、 米国民政府の指導で保健所が創立された。
従って医師も保健婦も一丸となって一からの協議づくめで開設準備を行っている。 駐在制度を基盤とする保健婦活動の開始も常に全員で協議して課題を乗り越えており、
このような経過から指導者・行政、 教育、 保健所が常に一体となり、 問題を共有しながら集団指導型を確立したと考える。 従って、 必然的に指導者の人事についても三つの職域を循環する異動を行うことで、
一体化した連携体制を確立して次元が異なっても指導の統一性、 一貫性が図られ、 指導者間のみならず上司と部下としての信頼関係にも綱がっていると言えよう。
本県の場合、 幸にも卓越した指導力を有する中心人物が存在し、 求心力をもつ人物を軸に結束した人間関係の中で有機的に連携し機能したことも制度の継続と発展をもたらした1つの要因と見なされよう。 |
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結論:
駐在制度の設置は戦後、 本県の置かれた歴史的、 社会的、 地理的特性から必然性を有したと考えるが、 制度が有効に機能するためには組織の中の位置づけと権限、責務の履行、
加えて勤務者の使命感が必要である。 駐在制度が成功した要因を挙げると 保健所組織として看護課と看護課長が設置され、 課長は看護全般に関する権限を有し責務を果たしている。 看護課は保健所内で唯一、 保健婦・専門職員で構成し保健所全体の対人保健業務の推進の中核として多大な力量を発揮し、
保健所事業の活性化と発展に大きな影響を及ぼすなど組織・命令体系が確立している。
保健婦行政担当係長は保健婦配置に関する人事権が付与され、
配置にあたり人事の原則厳守を堅持して責務を果たしている。 本県では保健婦の身分を県職員に一元化したが、 保健婦活動を地域に浸透させるためには適切な配置が行われる必要があった。
広大な海域に点在し、 医療の未整備な離島を含む全域に継続した保健婦配置は決して容易でなく、 定例の行政人事と異なる配慮が求められた。 従って保健所と密接な連携のもとに人事管理を行っている。 保健婦配置の方法は全保健婦による全県的なローテートを確立し、 保健婦人事の基本原則・平等性、 個別性、 透明性、 定期性、 循環性等が厳守され、 安心してほぼ全員が離島を含む遠隔地勤務を経験している。 全員が県出身でありアイデンティティーを確立し困難を分かち合い、
規模においても結束して保健婦魂を育み易く、 全県的な配置の循環が成功している。 指導的立場にある者の人事は行政と教育と保健所勤務を循環している。 従って各領域に関する業務を理解し課題解決に英知を集結できた。 同時に比較的早い人事の循環は若い人材育成ともなっている。
指導者層が有機的に連携する集団的指導体制を有したことである。 駐在制度は先行例もなく常に開拓発展が求められ、 指導者層の有機的連携は活動現場から看護課へ、
更に保健婦行政に至る組織体系が適切に機能し、 情報の円滑な流れと統一性は管理者と保健婦及び保健婦間の信頼関係に良い影響を及ぼし、 全体の結束に繋がっている。
本県の保健婦行政46年の歴史・駐在制度は我が国の保健婦行政・活動史から見ると極めて特異であり、 保健婦行政上から実験的な施行ともなりうる。 現在、 沖縄国際協力事業団等においては、
駐在制度にヒントを得て発展途上国に対する教材化の作成に向けた研究が進んでいる。 28) 過去の制度が国際貢献に役立つならば、 駐在制度の成功は確固たるものとして新たな再評価がえられることであろう。 |
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参考文献・資料
1) 第三次復帰対策要綱閣議決定、 1971.9、 保健所関係の閣議了解事項・公衆衛生看護婦の配置:沖縄の公衆衛生看護婦については復帰後もこれらの者が県職員たる保健婦として、
所要の地に駐在出来るよう措置するものとする。
2) 沖縄振興開発特別措置法 (法1315号) 第3章・振興開発計画及び振興開発事業沖縄開発庁、 振興開発計画、 昭和48年12月
3) 沖縄県福祉保健部健康増進課:人々の暮らし共に45年、 歴代駐在保健婦名簿、 P317~331、 グローバル企画印刷、 1999.3
4) 沖縄県立沖縄看護学校同窓会:同窓生名簿、 1998. 3
5) 保健婦の人事管理及びその他に関する情報提供協力者名 (元保健婦係長・看護課長) :金城妙子・与那原節子・仲里幸子・新里厚子・福盛久子
6) 1953以降の看護課長会議録
7) 照屋善助:保健衛生、 沖縄大観、P169~173、 1953. 4
8) 琉球政府社会局編:厚生白書 (創刊)、 P219、1960
9) 保健婦便覧、 P9~10、 沖縄県環境保健部予防課作、 1985年改版
10) 保健所婦長の機能・金城妙子の保管資料より・1960年の看護課設置に併せて作成されたものと推測する。 注・婦長とは公衆衛生看護婦の婦長を意味する。
11) 湧川房子:公衆衛生看護婦配置の状況、 沖縄の公衆衛生看護事業15周年記念誌 P156 ~159、 沖縄看護協会公衆衛生看護婦部会、 1968.3
12) 医事概要、 沖縄県厚生部医事課、 P12、 1972
13) 新里厚子・大嶺千枝子:復帰後の公衆衛生看護事業の動向として、 人々の暮らしと共に45年、 P50~54、 1999.3
14) 金城妙子:公看駐在制度をめぐつて、 看護技術 (臨時増刊号)、 P100~109、 1972.1
15) 宮城しげ:保健婦駐在制度、 長寿のあしあと・沖縄県長寿の検証記録、 沖縄県、 P155~162、 1996.3
16) 住民基本台帳人口の概要・沖縄県企画開発部・P33、 2000.10
17) 金城妙子面談:ありあけの里にて、 2001.6
18) 大嶺千枝子:占領期に行われた保健婦駐在の制度比較に関する史的考察、P108~116、 沖縄県立看護大学紀要第2号、 2001.2
19) 高江洲郁子:市町村保健婦の設置促進と県保健婦との協働地域保健活動、 人々の暮らしと共に45年、 P55~58、 1999.3
20) 大嶺千枝子:公衆衛生看護事業の沿革、 沖縄県の公衆衛生看護事業30周年記念誌、 日本看護協会保健婦部会沖縄県支部、 P39~51、 1982.5
21) 日本看護協会調査報告書:昭和57年保健婦関係市町村状況調査、 P25~ 27、 1983.8
22) 無医地区の状況・沖縄の僻地及び離島の概要、 環境保健部医事課、 P5、 1973.12
23) 保健婦の地域駐在制について・保健ニードと保健婦かつどうサービス強化の為の基礎資料、 環境保健部予防課、 P189、 1986.3
24) 平成12年・福祉保健部健康増進課・特定町村保健婦・士の意向に関する調査
25) 市町村からの保健婦に関する要請資料・ 県議会議事録・文教厚生委員会、 1995年10.3
26) 琉球新報、 沖縄タイムス、 離島振興協議か県に要請、 保健婦・士の人材確保を、 2002, 1, 17.
27) 長浜末子:保健婦会議からえたもの、 人々の暮らしと共に45年、 沖縄県福祉保健婦康増進課、 237~238、 1997.3
28) 援助手法調査研究 「沖縄の地域保健医療における開発経験と途上国への適応」 報告書、 国際協力事業団国際協力総合研究所、 2000.3 |
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